大阪回生病院 3代目本館(1915年竣工)

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大阪回生病院 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

所在地 大阪市北区絹笠町2番地
起工 大正3年(1914年)12月27日
竣工 大正4年(1915年)7月24日(開院式)
設計 宗兵蔵(工学士)/建築請負・瀧惣七
構造 木造地上3階/地下1階
病室数 29室(収容人数29名)
建築面積 318坪3合2勺(約1052.30㎡)

 外壁は鉄筋コンクリート造りにセメント・モルタル塗り。本館中央には鉄筋コンクリートの防火壁(鉄製シャッターを備える)、西側民家に接する部分には亜鉛版製防火壁がある。その他耐震の方法にも注意を払った。
 電灯は大阪電燈会社から供給を受け、不意の備えとして、ところどころにガス灯を設ける。

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本館配置略図 1階 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

◆1階◆
 病院の正面つまり東街路に面した入口は中央より少々南に位置する。車寄せは切妻造りで花崗岩および人造石で作り、正面および左右の3方向から玄関に入る。その両側に下足預り所を設ける。
 玄関を上ると待合室で、ここに受付がある。待合室の広さは南北に7間半(※約13.64m)東西に3間半(※約6.36m)の48畳敷きで、天井中央の長さ6間(※約10.91m)幅1間(※約1.82m)の部分は採光のために二重ガラス張りとし、化粧柱は内部に竪樋(たてどい)を納める。
 玄関を入って正面に事務室、その南に薬局、北に応接室がある。北側は携帯品預り所で、その西に廊下を隔てて外来便所がある。南側はガラス入りの壁で、その両側から外科・耳鼻咽喉科・待合室に至る。その広さは南北に3間(※約5.45m)東西に3間半の21畳敷きで、天井中央を1間四方のガラス張りとする。
 玄関の左に第1包帯交換室・外科診察室・密診室がある。密診室の西に第2包帯交換室・耳鼻咽喉科予診室・耳鼻咽喉科診察室および副室がある。その北は暗室で、前は廊下となっていてその北側に薬局入口がある。
 玄関の右に応接室・電話交換室・電話室がある。ここから携帯品預り所の両側にある通路を経て大広間(大待合室)に入る。広さは南北に12間(※約21.82m)東西に3間半強の約85畳敷きで、天井中央に長さ7間2尺(※約13.33m)幅1間のガラス張り部分がある。その他化粧柱の構造等はすべて玄関待合室と同じである。この大広間の東側にある各室を南から列挙すれば、レントゲン室・応接室・内科第2診察室・予診室・待合室・第1診察室・病理試験室で、西側は南から小児科待合室・第1診察室・処置室・第2診察室・婦人科内診室・診察室・待合室がある。大広間の南側は壁、北側はガラス入りの壁でその北に廊下がある。裏通りに面した北側には病理試験室の西に医局・図書室・科長室・科長脱衣室がある。
 階段は玄関脇応接室の北および薬局の南に表階段がある。その幅はそれぞれ4尺(※約1.21m)で表2階(※2階南側)に通じ、裏階段は図書室の前にあり、幅5尺(※約1.52m)で裏2階(※2階北側)に通じる。中央階段は大広間の南端にあり、幅5尺で2階の中央に通じる所とする。
 地下室に通じる階段は薬局入口の東と中央階段および裏階段の下にあり、その幅はそれぞれ3尺(※約0.91m)とする。
 非常口は耳鼻咽喉科予診室の南側・レントゲン室北応接室の東側・医局の北側ならびに科長脱衣室の西にある。いずれも戸を開けると街路へ出ることができる。


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本館地下室配置略図 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

◆地下室◆
 地下室は南・中央および北の3ヶ所にある。南地下室は製剤室・理化学試験室・薬品倉庫・物置所・脱衣室等に区分し、中央地下室は東側を事務室倉庫・レントゲン地下室・男子食堂・女子食堂、西側を事務倉庫・機関室・炭倉庫・事務倉庫・ボイラー作業員寝室等とし、機関室・ボイラー作業員寝室の壁および天井はレンガで築き、セメントで上塗りし防火設備をなしている。北地下室には病理付属室・4個の浴室・霊安室・洗濯所等がある。
 廊下の西端から屋外地上に通じる石の階段がある。これを上れば西に便所および非常用階段、北に裏門があり街路に出る。


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本館配置略図 2階 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

◆2階◆
 建坪は1階と同じである。ここには29個の病室と来賓室・看護婦室・看護婦勤務室・医局員宿直室・浴室・食器洗い場・洗面所・便所・倉庫等がある。
 そして表通りに面した南側に4個の一等病室と来賓室がある。病室は6畳と3畳の副室で構成され、床の間・押入れを設ける。来賓室は東南隅の景色のよい位置を占め、約25畳と4畳の副室を有する。
 東街路沿いには廊下の東側に7個の病室と看護婦勤務室・看護婦室・医局員宿直室がある。病室のうち2室は8畳と4畳、5室は6畳と3畳で、前者を特等室、後者を一等室とし、みな床の間・押入れを設ける。
 また裏通りに面した北側に5個の病室と浴室・食器洗い場・洗面所・倉庫がある。病室のうち4室は一等室、残りの1室は二等室で6畳に床の間・押入れを設ける。
 さらに廊下の西側に13個の病室と便所がある。病室は6畳敷きで床の間・押入れ付きの部屋と、押入れのみの部屋とがあって、みな二等室とする。便所の位置は1階と同じである。
 2階には1階に通じる階段のほかに、3階の看護婦寄宿舎に至る2個の階段がある。ひとつは特等室の南、ひとつは特等室の北にあり、前者は幅3尺(※約0.91m)、後者は幅4尺(※約1.21m)とする。
 そのほか東側北端の一等室の北に幅2尺5寸(※約0.76m)の階段があり、物干し場に通じる。
 また北廊下の西端食器洗い場の横に非常口があり、戸を開けて北に物干し場へ上る幅2尺2寸(※約0.67m)の階段と、南に幅3尺2寸(※約0.97m)の非常用階段があり、地上へ下りることができる。


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3階 (国会図書館デジタルコレクションより)

◆3階◆
 建坪47坪2合5勺(※約156.20㎡)の屋根裏で、ここに5個の看護婦寄宿舎と倉庫がある。


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 余談ではあるが、3代目本館の開院式が行われた大正4年7月24日と、病院の創立記念日にあたる翌25日の様子について、沿革史におよそ次のような記述がある。

  「7月24日 以前から絹笠町2番地に再築中の本館が竣成し、開院式を挙行する。招待した来賓が午後1時より続々と来観し、最終の午後5時までにその数は270名に達した。この日は燃えるような暑さが特に厳しかったので、院内には多数の模擬店・冷布・氷柱・扇風機等を備え付けて、来賓のもてなしに努めた。」

  「7月25日 新築本館において、創立15年記念式を挙行し、院長(※菊池常三郎)が丁寧で心のこもった式辞を述べた。次に本院顧問に招聘した井上正進氏を紹介し、同氏の挨拶があった。閉式後、大広間において祝宴を開催し、淺井耳鼻咽喉科長が総代として祝辞を述べ、回生病院ならびに菊池家の万歳を三唱した。院内においてこのように多数の職員・看護婦が一堂に会して盛大な宴会を催したのは、思うに初めてのことだ。」

 折しもこの二日間は回生病院からほど近い大阪天満宮の夏祭り、天神祭の宵宮と本宮である。病院の中も外もお祭りの気分に満ちていたことだろう。楽しく賑やかな空気が伝わってくるようだ。

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以上『大阪回生病院沿革史』より。
本文カッコ内※印はryugamori註。