大阪回生病院 初代本館 (1900年竣工)

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創立当時の大阪回生病院 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

  本院は堂島川の北岸にあり、川の流れを隔てて中之島公園と向かい合っており、水陸の交通至便である。大阪控訴院は東の街路をはさんでそびえ立ち、日本銀行大阪支店・大阪図書館および豊公銅像・豊国神社・公会堂等はきわめて近くにある。

所在地 大阪市北区絹笠町2番地
起工 明治32年(1899年)6月
竣工 明治33年(1900年)7月
開院 明治33年(1900年)7月25日
設計 芳賀靜雄(第四師団建築技師)/建築監督・小川良知(一等薬剤官)
構造 木造地上3階/地下1階/塔屋つき
病室数 82室(収容可能人数100人超)
敷地面積 415坪6合5勺(約1374.05㎡)
建築面積 220坪8合7勺(約730.15㎡)

 西および北側の民家に接する部分には、レンガ壁を築き、窓には鉄扉を設けて防火に備えた。耐震の方法にも注意を払った。

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本館配置略図 (国立国会図書館デジタルコレクションより)


◆1階◆
 病院の正面つまり堂島川に面した入口は花崗岩で築き、石の階段をのぼって玄関に入る。廊下を隔てて正面に事務室、その左に事務員当直室がある。玄関のすぐ左に薬局、右に患者待合室がある。薬局のとなりの部屋を調剤員当直室とし、待合室のとなりの部屋を外来患者包帯交換室とする。
 玄関をのぼって右に曲がり、待合室および外来患者包帯交換室の前でさらに左に曲がると廊下がある。右側に外科、内科、小児科診察室、医局および7室の病室がある。左側に電話室(この角を曲がって事務室の裏を進むと職員および外来便所。曲がってすぐの階段を下りると地下室へ至る)、内科治療室、応接室、急診患者待合室、湯沸所、看護婦取締室、看護婦室、物置所および4室の病室がある。
 病室は各室とも畳8畳敷きで(最北端の1室のみリノリウム敷きで寝台を備える)、押入れ・床の間を設ける。暖房および電鈴を備え、窓は2ヶ所・入口は1ヶ所である。
 廊下の長さは、外来患者包帯交換室の前から病室の尽きるところまで33間(※約60m)ある。この廊下は1階における最長の通路で、ところどころに痰壺および投書箱を備える。
 手術室は看護婦室および物置所の裏にある。大小4つの部屋で構成され、漆喰叩きの通路で看護婦室と物置所との間から廊下へ通じる。この通路の傍ら(※看護婦室の北側)には昇降機を備え、2階3階の患者を手術室に昇り降りさせる場所とする。
 病室の尽きるところで更に廊下を左に曲がれば、右に便所・浴室・洗濯所(蒸気洗濯機を備える)がある。左に乾燥室があって、包帯材料を乾燥させる場所とする。さらにそのとなりに台所および同係員室がある。この台所に接するところにも昇降機があって、食膳を2階3階へ運ぶのに用いる。
 病理試験室・磨工室・院長室・医員当直室等は、手術室の南にある二階建てで、廊下で湯沸所に接続する。
 階段は玄関をのぼって右ななめ前に表階段があり、幅9尺(※約2.7m)で表2階および3階に通じる。裏階段は最北端病室の前と台所の前とにあり、幅約3尺(※約0.9m)で、裏2階および3階に通じる場所とする。地下室に通じる階段は、薬局のとなりと電話室の前と台所のかたわらの3ヶ所にあって、幅はそれぞれ3尺ほどとする。
 非常口は最北端病室の前と台所の裏とにあって、これを開けば裏通りの街路に出ることができる。

※なお、明治42(1909)年2月西病室完成後は、外科は全て西病室へ移転し、本館の診察室を以下の通り変更した。
 小児科診察室→内科診察室
 外科診察室→小児科診察室
 包帯交換室→耳鼻咽喉科診察室

◆地下室◆
 地下室は表(※南)および裏(※北)の2ヶ所にある。表地下室は、製薬室・理化学的試験室等に区分し、かつ氷室の設置がある。
 裏地下室は蒸気機関室・電機室・熱気消毒室・石炭庫・ボイラー作業員寝室等で構成される。
 各室のしきり・天井等はレンガ造りにセメントを上塗りし、光は適宜窓を設けて引き入れた。

◆2階◆
 2階の建坪は1階と同じである。しかし部屋の広さならびに区分等は同じではない。(廊下の経路は同じ)
 表通りつまり堂島川に面した南側に、5個の病室がある。その各室は8畳と6畳の二間、または10畳と7畳の二間等で構成される。これに床の間・違い棚・押入れ等を設け、暖房および電鈴を備える。またその北側に2個の病室がある。8畳と6畳の二間で構成される。そして10畳と7畳の二間の部屋を特等室とし、他はみな一等室とする。
 横通りつまり大阪控訴院へ向かい合った方は、廊下の右側(東側)に13個、左側(西側)に6個の病室と看護婦取締室・看護婦室がある。各病室は畳8畳敷きで、最北端の病室はリノリウム敷きである。各病室とも床の間・押入れおよび暖房・電鈴を備える。さらに1階手術室の上にあたる場所に、10畳と6畳の二間で構成される病室が2個ある。10畳にはリノリウムを敷き寝台を備え、6畳には畳を敷いてある。この病室の前の廊下には昇降機があって、手術室に通じる。便所および浴室の位置は階下と変わらない。
 そしてこの2階に蒸気乾燥室がある。鉄管で蒸気と乾燥した空気とを送って、洗濯物を乾燥させる場所である。その他看護婦教室・看護婦総取締室および湯沸所がある。

◆3階◆
 病室その他の配置は2階と同じだが、ここに大貯水槽・浴湯池および蒸気吸入室を設ける。

◆天心閣◆
 3階からさらに登って、倉庫・談話室等を経て天心閣に入ることができる。六角形の高塔で、ガラス窓を開くとその外部は回廊となっており、鉄の手すりを設ける。ひとたびここに上って四方を指させば、浪華のすべては足下に集まり、遠山近海みな一望のもとにある。
 閣に「天心」の二字を題するのは、頼山陽の浪華橋納涼の佳句、
   万人声裡夜如何 月到天心露気多
   豪竹哀糸船櫛比 一江起処着金波
から取ったもので、その扁額は院主の姉婿・持永適庵(※持永秀貫)居士の筆による。
 天心閣は地盤から仰ぎ見て50尺7寸(※約19.3m)の高さにそびえ立っている。そこに登って眺めわたした際の心地よさは、推して知るべし。

◆上水◆
 飲料には大阪市の上水を全院に導き入れ、それぞれ各所で用途を区別できるよう、雑用水は淀川(※堂島川)の川水を3階に設けてある貯水槽に蒸気ポンプで導き、ろ過のあと鉄管でこれを上水管と並行して各階各所に送って、炊事・風呂その他の雑用に利用する。

◆下水◆
 普通の下水はすべて樋で前方および後方の街道上にある大下水道に流す。しかし地下室内の下水は蒸気ポンプで前方下水道に導き、手術室で生じた下水および伝染物質を含んだ下水は、煙突の下に設けてある焼却所でいったん煮沸消毒した後、普通下水道に棄てる。

◆消毒◆
 伝染の疑いのある患者に用いた畳・寝具類は、これらを地下室に備え付けた消毒かごにひとつひとつ入れ、すべて熱気消毒を行う。また手術室には完全な消毒装置を備え付け、治療器械・包帯材料等すべて消毒し、そばに滅菌水を作って手洗いその他手術部の洗浄に用いる等、いっさいの設備の防腐処置は明らかである。

◆設備上の特色◆
 本院の設備上の特色とするところは、地下に蒸気機関室を設けて2基の蒸気機関を据え付け、火力を要するものはこれら蒸気の力を借りる。各室の蒸気暖房は温度が常に一定で、厳冬の骨を削るような寒さの時も、陽春桜花のうるわしい季節のように和気あいあいと感じられる。また台所における飲食物の煮炊きをはじめ湯や茶の煮沸、薬局における薬剤の浸煎、手術室における包帯材料および器械類の消毒、その他浴場や洗い場等にいたるまで、ひとつとして蒸気の力を用いないものはない。
 また別に電機室を設けここに発電機を据え付けて、あかりは全て自家用電灯とし、真夏のころには扇風機を用いて絶えず涼風を送り、金属を融かすほどの厳しい暑さもたちまちに忘れさせる。


以上『大阪回生病院沿革史』より。
なお、本文カッコ内※印はryugamori註。