大阪ホテル年表

明治元年(1868年)9月25日◆長崎で西洋料理店・自由亭を経営していた草野丈吉が、大阪府知事後藤象二郎や外国官権判事・五代才助の招聘により大阪川口・梅本町(内外人雑居地)に設置する外国人止宿所の司長(支配人)を命じられる。

明治2年(1869年)1月◆外国人止宿所の正式な開業日は不明だが、新聞広告によると1月19日には既に営業し、自由亭を名乗っていたとみられる。

明治9年(1876年)7月◆明治5年に廃止された川口・富島町の外務局跡に、自由亭支店設置。

明治14年(1881年)1月8日◆梅本町から移転して、中之島に自由亭ホテル新築開業。官設から私設のホテルとなった。

明治17年(1884年)6月◆草野丈吉、ホテル東隣の浪花温泉とさらにその東にある清華楼を買収。

明治19年(1886年)4月12日◆草野丈吉、45歳で病死。星丘安信の協力を受けて長女・錦(きん)が跡を継ぐ。
12月1日◆清華楼を改築し、自由亭ホテル東に和風建築の洗心館開業。

明治20年(1887年)◆旧浪花温泉部分改築。

明治28年(1895年)1月8日◆洗心館を改築し、大阪ホテル東店と呼称。

明治29年(1896年)5月20日◆旧自由亭ホテルの場所に純洋風建築の大阪ホテルが竣工し、この日落成式挙行。大阪ホテル西店と呼称。

明治30年(1897年)3月◆国有浜地であったホテル敷地が大阪市に下げ渡されて市有となる。

明治31年3月◆星丘安信、49歳で死去。

明治32年(1899年)10月27日◆外山脩造ら11名の発起で資本金10万円の株式会社大阪倶楽部が設立される。※草野錦のすき焼き店(自由亭ホテル~大阪ホテル?)に出入りしていた銀行関係者らによって組織された「オオサカクラブ」が母体となっている模様。大正元年に設立された株式会社大阪倶楽部(現・一般社団法人大阪倶楽部)とは異なる。
10月31日◆草野錦が大阪ホテルを6万円で大阪倶楽部へ売却。以降、大阪ホテル西店は大阪倶楽部ホテル(大阪クラブホテル)となる。なお大阪倶楽部は東店を2万円で森田吉五郎に売却。東店は日本料理料亭旅館・森吉楼となる。

明治33年(1900年)◆ホテル敷地を市から貸借し、内外人の集会または遊戯室貸しを主とし、傍ら旅客の宿泊および和洋割烹を営業を目的とする事業が開始。社長・井上保次郎、支配人・大塚卯三郎。

明治34年(1901年)12月18日◆大阪倶楽部ホテル、改築中に失火で全焼。

明治35年(1902年)2月11日◆翌年大阪で開催される第五回内国勧業博覧会に伴う国内外の賓客を受け入れるため、再建を急ぐ。この日地鎮祭を執り行い、当初は年内の竣工を予定していた。
12月26日◆株式会社大阪倶楽部から株式会社大阪ホテルに変更登記。資本金10万円。

明治36年(1903年)1月3日◆建物竣工。北区中之島1丁目
1月4日◆大阪ホテルと改称し開業。
11月◆大阪市がホテル敷地を井上保次郎に3万6千余円(5回分納)の契約で売却。

明治37年(1904年)◆森吉楼を改築し、大阪銀行集会所とすることが決定。
8月◆森吉楼跡に大阪銀行集会所竣工。

明治38年(1905年)◆大島徳蔵が支配人となったのち3月~5月頃、建物西側にも新たに入口を設ける。

明治39年(1906年)?月◆大阪市がホテルの敷地・建物・什器を13万9千余円で買収、大阪ホテルの所有者となる。しかし間もなく一切の什器を2万5千円で大塚卯三郎に売却する。

明治40年(1907年)1月22日◆株式会社大阪ホテル解散。
?月◆大阪市、ホテル敷地を公園敷地に編入する。
?月◆大阪市、ホテル賃貸の入札を行う。大島徳蔵が1年あたり1千円の賃貸料で落札。大島はさらに競売をして、これを4万円(10年腑払い)で大塚卯三郎に売却する。

明治41年(1908年)10月◆ホテル経営とその家屋の所有者が異なると支障があったため、大阪市は建物の修繕ならびにホテル事業の改善を条件として、4万円(5回分納)で大塚卯三郎と売買契約を締結する。

明治42年(1909年)2月◆上記の登記手続き終了。大阪ホテルの所有権が大阪市の手を離れる。

明治43年(1910年)6月◆この頃大塚は同郷の尼野源二郎にホテル経営の整理を託すことを決意か。大日本麦酒株式会社社長・馬越恭平から大阪ホテルに対する債権保全のための建物競売訴訟を起こされてたという。

大正元年(1912年)12月7日◆尼野が伊藤耕之進・大島甚三らとともに資本金20万円の株式会社大阪ホテルを設立。のち大阪ホテルを買収。

大正8年(1919年)1月11日◆大阪ホテル附属建物調理場より出火し、大阪銀行集会所に延焼。調理場全焼するもホテルは大事に至らず。大阪銀行集会所は半焼。
3月8日◆合名会社名古屋ホテルの土地・建物・什器一切と営業権を11万5千円で買収。大阪ホテル名古屋支店とする。
6月◆大島社長の辞任を機に、資本金100万円へ増資。取締役の下郷伝平が会長に就任する。
12月◆下郷らにより、資本金200万円で株式会社浪速ホテルが設立される。

大正9年(1920年)3月◆大阪ホテルは浪速ホテルを合併し、公称資本金300万円となる。
7月1日◆元大阪逓信局の建物を改築した今橋ホテルが開業。大阪ホテル支店とする。建物は明治43年(1910)頃新築されたもの。東区今橋1丁目15番地の1

大正10年(1921年)4月1日◆名古屋支店が資本金50万円の株式会社名古屋ホテルとなる。以降、土地・建物・什器を大阪ホテルより貸借して経営する姉妹会社の形態をとる。

大正13年(1924年)11月13日◆中之島の大阪ホテル本店、ボイラー室より出火し焼失。再建の計画もあったが、市有地であったため土地を返納しなければならず、叶わなかった。以降本店を今橋ホテルへ移し、これを大阪ホテルと改称する。

昭和16年(1941年)3月7日◆前年の決算が好調でホテル経営も立ち直りはじめた矢先、折からのビル不足や建物統制等の都合で、本店建物一切を大和紡績株式会社へ譲渡することとなる。この日を限りに営業を終了し、ホテル部は廃業となった。
6月26日◆有限会社大阪ホテル設立。大阪ホテルの名前を残したまま、食堂経営専門となる。
9月19日◆名古屋ホテルは土地建物設備一切を大阪ホテルより貸借して営業していたが、大阪ホテルが有限会社となったことを機にこれらを優先的に譲り受けることとなる。この日事業設備新設許可申請が許可され、事実上完全に独立した会社となった。

昭和17年10月25日◆大阪ホテル・名古屋ホテルの沿革史である『ホテルの想ひ出』発行。

 

参考文献

秦重吉 『大大阪営業名鑑』 大大阪営業名鑑発行社 1925年
堀田暁生 「自由亭ホテルと大阪ホテル」 『大阪春秋』 第51号 1987年11月
堀田暁生 「写真が語る自由亭ホテルと大阪ホテル」 『大阪春秋』 第83号 1996年6月
堀田暁生 「中之島の自由亭ホテルと草野丈吉について」 『大阪の歴史』 第71号 2008年8月
木村吾郎「大阪のホテル今昔 -自由亭ホテルから新大阪ホテルまで-」 『大阪春秋』 第83号 1996年6月
木村吾郎 『日本のホテル産業100年史』 明石書店 2006年
大阪市 『明治大正大阪市史(復刻版)』 清文堂書店 1980年
下郷市造 『ホテルの想ひ出』 大阪ホテル事務所 1942年
砂本文彦 「大阪と名古屋の都市ホテルについて」 『社史で見る日本経済史 第92巻 ホテルの思ひ出』 2017年6月
逓信省逓信事業史』 第7巻 1940年
「表紙に掲げられたる大阪ホテルに就いて」 『工業之大日本』 第2巻第6号 1905年
「大阪ホテルの拡張」 『仁寿社報』 第92号 1920年
大阪倶楽部ホテルの上棟式」 『三十六年』 第4号 1902年
「地方通信」 『逓信協会雑誌』 第23号 1910年