大阪回生病院 2代目本館(1910年竣工)

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北区大火後再建の本院 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

 

所在地 大阪市北区絹笠町2番地
起工 明治43年(1910年)4月4日
竣工 明治43年(1910年)12月15日
再落成式 明治43年(1910年)12月18日
設計 日高胖(工学士)/建築請負・長瀨兵馬
構造 木造地上3階/地下1階
病室数 52室
建築面積 292坪6合強(約967.27㎡強)

 外部はセメント入り漆喰塗り。西および北側にはレンガ壁を築き、窓には防火鉄扉を備える。灯火は地下室に吸入ガス発動機(エンジン)および発電機を備え付け、自家用電灯とする。(註)

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本館配置略図 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

 
◆1階◆
 病院の入り口は東南の隅にあり、石の階段をのぼって玄関に入る。ここに廊下を隔てて正面に受付がある。その内側を患者待合室とする。約40畳の大広間で、天井は12畳ほどのガラス張りとなっている。
 廊下は玄関をのぼって右に曲がり、右手に小便室・外科副室・外科診察室・包帯交換室・耳鼻咽喉科診察室・耳鼻咽喉科副室・応接室・院長室・4個の科長室・看護婦総取締室・教室・会議室がある。左手に調剤員当直室・薬局・事務室・事務副室がある。
 廊下の北側に便所、その右手階段の北側に内科副室・内科診察室がある。その東を内科治療室・電話室とし、その北を応接室・小児科診察室とする。そして小児科診察室の西を小児科副室、そのとなりの部屋を手術室とし、北側に準備室・便所・洗面所がある。小児科診察室・小児科副室の前に廊下があって、これを隔てて小児科患者待合室に面する。この北に病理試験室および食堂がある。
 中央廊下は1階最長の通路で約28間(※約50.9m)に達し、北端に医員室、その西に大小2個の看護婦室、南側に布団場・洗面所および便所がある。浴室は3個で病理試験室の西にあり、廊下によって中央廊下と行き来する。
 階段は玄関を上って小便室の北および事務室の北に表階段がある。その幅はどれも6尺(※約1.82m)で表2階および3階に通じ、裏階段は看護婦室の前、布団場の東にある。その幅は6尺で裏2階および3階に通じる。中央階段は耳鼻咽喉科副室の北にある。幅6尺で2階および3階の中央に通じるところとする。地下室に通じる階段は、中央階段の下と西北隅便所の南とにあって、その幅はそれぞれ4尺(※約1.21m)とする。
 非常口は中央階段の北(※東の誤りと思われる)と会議室の北東隅にあり、ともに戸を開けば街路へ出ることができる。なお看護婦室の前廊下の西端にも1ヶ所ある。

◆地下室◆
 地下室は南・中央・北の3ヶ所にある。南地下室は製薬室・理化学的実験室・倉庫等に区分し、中央地下室は機関室・石炭庫・ボイラー作業員寝室・雑使婦室・看護婦食堂等で構成され、機関室・石炭庫・火夫寝室のしきりおよび天井はレンガで築き、セメントで上塗りして防火設備をなした。北地下室は木炭庫・消毒室・倉庫等とする

◆2階◆
 建坪および廊下の経路は1階と同じである。ここには26個の病室と看護婦取締室・看護婦室・看護婦勤務室がある。
 そして表通りに面した南側に4個の病室がある。その内3室は7畳と3畳の二間、1室は八角形をした約8畳の間と3畳の副室から構成され、東端を除いた病室は床の間・押入れを設ける。この4室はみな特等室である。その北側に特等室および一等室(6畳と3畳)が各1個ある。東街路に沿ったところには、廊下側に12個の病室がある。その内4室は6畳と3畳、7室は4畳半ないし6畳、北東隅の1室は八角形で約7畳と3畳で構成され、北端の2室を除いて床の間と押入れを設ける。そして副室付きの病室を一等室とし、他を二等室とする。
 また廊下の西側に3個の二等室と看護婦取締室・看護婦室・看護婦勤務室・物置所、および看護婦取締室の北に1個の一等室がある。
 さらに裏通りに面した北側に4個の病室がある。6畳敷きでみな二等室とする。そして便所の位置は1階と同じである。

◆3階◆
 病室その他の配置は2階と全く同じである。


以上『大阪回生病院沿革史』より。
なお、本文カッコ内※印はryugamori註。


註 日本では1907年に発動機製造株式会社(現・ダイハツ工業)が初の国産エンジン「6馬力 吸入ガス発動機」を完成させ、その後次々と馬力の高い製品を発表した。もしかしたらその内のどれかかも知れない。

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